ソラシドトリガー! -Sorashido Trigger!-

前略、画面の前の読者様 このブログに書かれてることは的外れな主観です。だから決して、このブログの記述は鵜呑みにしないで下さい。

フォロワー数やPVが少なくても、おれにしか出来ないことを探してる

いきなり私情で申し訳ないが、最近、Twitterのフォロワー数が3人減った。

そもそも自分の垢はフォロワー数がびっくりする程少ないので、別に減ろうが大したダメージは無いと思っていたのだが、意外と心のダメージが大きく、少し病んだ。本当に。

 

 

Twitterではフォロワー数を増やすことよりTLの安寧を守ることを心がけているため、アニメアイコンで政治に異議を申し立てたり、極端に昔の作品を美化し近年の作品を叩く人は、例え自分の好みなイラストを描いていたり、レアな貴重映像を持っていたりしても、積極的にリムったりミュートにした(全くオブラートに包んでない表現)。フォローするのも、安易に相互フォローはせず、この人がいたらTLが賑わいそうだな、この人の話をもっと訊いてみたい、と思わされた人しかしないようにしている。そういう思考だから、ネットでなかなか同志の人に巡り合わないんだろうな、自業自得だ。でも、別にフォロワー1000人とか目指してないし、増えればラッキー程度に受け止めている。それはブログも同様。

 

しかし、趣味の範囲でやっているとしても、どうしてもSNSでは数字=絶対正義な気もしなくはない。ので、やっぱりフォロワーは少なくとも20人は欲しいし、ブログも読者数100はとりあえず目標にしている。フォロワー数も、RTやいいねも、ブクマ数も、多ければ多いほどその人の考えが正しいと誘導されなくもなくはない。自分はこうやってブログやTwitterをやってる癖に、炎上したくない、大衆の目に触れたくないと思ってる人間なので、今くらいが丁度いいとも思ってる。けど、SNSをやっていると、数字が欲しくなる。だって数字が多くなければ読まれないんだから、おれは自己満足と誰かに読んでもらうためにSNSをやってるんだから。

 

 

ここまでかなり支離滅裂な思考や発言が多いのでおさらいすると、自分は「バズって変な人にクソリプを送られたくはないがバズって沢山の人に自分の書いたものを読んでもらいたい」と思っている。自分でも、意外と正常な考えかと思ったが、ネットの世界ってのはリアル以上に面倒くさい世界で、バズって100人がそれに対するコメントを書き込んだら、必ず1つは自分の考えとは真逆のコメントや、本題とは関係なしの変なコメントがあったりする。ヤフコメなりブコメなりでそんなコメントを何度見たことか(ここまで偏見が多い)。

昔は某大手芸能事務所の社長の過去の悪行に対して軽く擁護に回ったら何故か本題と関係ない日本軍云々と絡ませて批判されたり、観たことないアニメの騒動に首突っ込んで長文でお叱りをもらったこともある。勿論フォロワー数だって減ったのも1度や2度だけでは無い。そう考えるとこのブログのシンカリオンの記事が未だに(現状)誰にも言及されてないのは凄い、あれなんて粗の塊だぞ、子供をダシにしてテレビ局叩いてるオタクを叩いてる記事だぞ。先日、ネット上で尊敬してる人が「自分は批判してる人を批判するために批評はしてません」と言ったのを見て「すみませんそれ昔の僕のことですね」と申し訳なくなったし。そういうのもあってか、最近はあまりお気持ち表明をすることは減った気がする。

rororomaturity.hatenablog.com

 

若干話がズレたけど、本当にネットって難しい。100人中99人が解釈一致していても、1人が解釈違いを訴えてそれが拡散されたら論争に発展するから。自分はそういうの苦手なので、解釈違いを見つけてしまったり、解釈違いの解釈違いがあってもあまり声には出さないようにしている。モヤモヤは吐き出さず飲み込む、もしもそれをネットの海に放り投げたら虚しさで心が溢れてしまう、自分の場合は。

 

そう思うのは、やはり自分の書いたものが読まれて、ディスられるよりも褒められる方が心地良いからなのかもしれない。最近だと、推し漫画の感想記事を書いたら愛好家の人に「わかる」を貰ったり、この前の逃走中感想記事はEXITのファンの人たちに滅茶苦茶読まれたし、個人的にできそこないだと思っていたリアリティラインの記事は「すごく分かりやすい」と言われてしまった。そんな反応一つ一つに顔がニヤけてしまったが、まさにそれこそが生きる実感。前々から、「おれはおれを救うんだ」と銘打ち、自己満足ばかりを求めてブログなどを書いてきたが、最近は「自分のこれまでの人生から何か感じ取ってほしい」と思いながら書くようになってきた。

いきなり話のスケールが大きくなったが、たぶん皆さんが思ってる以上にロゼロは普通じゃない人生を送ってきたので、そういう人生経験を話さないのも勿体無い気がしたのと、自分が犯した失敗を他人にしてほしくないというものがあったり。本当デスヨ。まぁ、ネットを観てみると、「中学時代のおれの思考そのまんまやな…」と思わされる人は結構いるんですけどね。それはオタク的な話でも、真面目な話でも。モヤモヤを吐き出さないって考えは若気の至りがあるからかもしれんな…、学生時代に黒歴史創りまくった関係で、インターネットという名の永久標本にそれを遺したくないんだろうな。意見がやや曲解されてTogetterに転載されたこともあったけどな!

rororomaturity.hatenablog.com

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別にTwitterを通して革命を起こしたいわけもないし、日本一のブログを目指してやっている訳でもない。最初の頃は「こんなブログなんて読まなくてもいいので『ジ○○○○○○○ト』(伏字)でも読んで下さい」くらいの気楽なスタンスで臨んでいた。でもいつからか、ある程度の地位は築きたい、誰かに何かしらの影響を与えたい(でもなるべく目立ちたくない)。そう思うようになってきた。

作品の感想に関しては自分より上手く書ける人が周りにも何人かいる、これまでの自分の人生を合わせても勝てない相手は絶対いる。だからこそ、自分だけの"経験"と"技術"で他には出せないもので勝負する。それでも駄目ならば、それらでもない別のものでもいい、何か、自分にしか出来ないことをやりたい。最近は常にそう考えてる。

 

このブログを立ち上げた当初は、はてなブログ読者登録者数72位の超人気ブログの文面を明らかに真似してたり、春先~初夏までのコロナ禍真っただ中では木兎光太郎や新庄剛志を意識して"陽の者"になろうとした。

 

でも、無理だった。おれは人に思われてるほどいい子ちゃんじゃないし、嫌いな人間はスーパー戦隊の作品数以上に存在するし、たまには毒を吐いたりする。昔みたいなお気持ち表明は多分もうしないけど、ポジティブ精神100%でネットの世界には居られない。嫌というほどネットや現実の実態を見せつけられたし、プリパラでも言ってたけど毒のない人生なんてつまらないし、 何よりもポジティブの押しつけは好きな作品をディスられる以上に嫌いな行為だ。そういうのも、過去に色々ありすぎた故なので、そういう人間が書くものに、何か惹かれるものがあれば、と願いながら今もこうしてキーボードに思いを綴ってる。実を言うと、こういう荒唐無稽な文章を書くのが一番得意だったりする。それも過去に関係アリ。

所詮、こんな弱小ブログじゃ何言っても届く範囲が限られるけど、逆にそうだからこそ、誰にも期待されてないし、好きなことを思うがまま重圧がのしかからずに書ける。そのスタンスは、これからの未来が如何なるものになろうと、変えたくはない。