「おい!次のライダーの脚本虚淵だってよ!」
『仮面ライダーウィザード』も終盤に差し掛かってきた2013年初夏、ライダー好きでアニメ方面にも精通している兄が興奮気味に放った一言は、今でもよく覚えている。
その言葉を受けてウィザードの次作、『仮面ライダー鎧武/ガイム』の公式HPをチェックすると、確かにそこには虚淵玄という名が記入されていた。
↑ブコメから当時の反応がすぐ伝わるの、良い。
虚淵というのは脚本家の虚淵玄の事を指しているのは、一応アニメオタクを名乗っていた当時の自分も知っていた。氏が執筆したまどマギこと『魔法少女まどか☆マギカ』が巻き起こしたブームはネットの至る所で目に入ったし、自分も実際に作品を視聴し実感した。深夜アニメが冷遇されていた当時のゴールデンでのアニメ特番でもご丁寧にネタバレ付きで紹介された辺り、凄い作品なのは言うまでも無い。
只、当時はマミるとか10話の展開とかをネットのネタバレで知ってしまっていた事や、まどマギは龍騎みたいに魔法少女同士でガンガン争ってバンバン死んでいくものだと期待して少し違うものがお出しされた事からどちらかと言えばガッカリ感の方が強かった。今視聴したら180度違う解釈にたどり着くのは目に見えているが、あれから8年以上経った今も一度も見返していない。新作映画も公開されるみたいなのでそろそろ観ておかねば。
話を鎧武に戻す。内心「おいおいマジかよ…フォーゼの時のガセネタ*1の再来じゃないの?」と公式が発表しているにも関わらず半信半疑な心境だったが、"あの"虚淵玄が日曜朝8時で仮面ライダーの脚本を執筆するという事実は震えた、恐怖と武者震いの両方の意味で。あまり大きな声では言えないが当時はかなり痛々しいオタクだったのであの頃YouTubeで配信されていた『555』や『カブト』などと比較しながら「ウィザードはなんか展開がヌルいよなー、もっと人◯せよ」と思っていたので*2、当然誰かが死ぬだろうし、もしかしたら全滅エンドもあり得るんじゃないかと人が死ぬ事前提で予想を立てていた。因みに当時の自分は虚淵氏が所属しているニトロプラスという会社に関する知識はゼロに等しく、1話のOPで「脚本 虚淵玄(ニトロプラス)」というテロップが出て2ちゃんの実況が「日曜朝からニトロプラスって出していいのかよw」みたく盛り上がってる中で全くついていけてなかった。
リアルタイム時は、 はっきり言ってそんなに楽しんで視聴していなかったという記憶が強い。と言うのも、やはりあの時求めていたのはまどマギは勿論、平成1期で展開されていたシリアスな作劇だったので、これまでの『フォーゼ』『ウィザード』とそこまで変わらないコメディ寄りのストーリーはどこか期待外れに思えた。
それと、今となってはどうとも言えない出来事なのだが、放送時のネットは鎧武の話題となると高確率で荒れていたのも楽しめなかった遠因になる。序盤は自分と同じように「期待外れ」の烙印を押すような声を見るだけならまだいい、執拗にストーリー展開や登場人物の言動、番組関係者を誹謗するレスやコメントを2ちゃんは勿論、まとめブログやatwikiで何度も見てしまった。言ってしまえばそういうのは昔も今も日常茶飯事ではあるが、まとめブログのコメ欄が悪い意味で活性化していたりアニヲタwikiで鎧武関連の記事の作成・編集・閲覧が凍結されてた辺り、あの頃は主観的に歴代で1番荒れてた時期だった。それでも「平成1期もそんなもんだった。寧ろあの頃を思い出して楽しかった」と振り返ってる強者(戎斗とは一切関係ない)も居たが。
結局のところ、求めていたシリアス展開に入ってもそういう外野の声を振りほどけず楽しめず、面白かったかつまらなかったと訊かれたら雑感はありつつも「面白かった」と答える程度には視聴していたが、内容は関係なしに最後までそれらの声を払拭できずに鎧武の放送は終了した。この苦い経験を糧に、『ドライブ』以降はネットの感想などは神経質になる位に場所を選ぶようにしたので、あの時のようになる事は無くなった。
その後の『ドライブ』『ゴースト』からは雑音を気にせず楽しく視聴できていたのだが、鎧武に関してはやっぱりどうしても時間が止まったかのように印象が変わらないままだった。それを払拭したきっかけとなったのが2016年2月末に発売されたゲーム『仮面ライダー バトライド・ウォー創生』だった。
バトライドウォーシリーズは過去にも2作出ていたがPS3を買う資金が無いなどの理由で購入を見送り、PSVita版ならギリギリ予算圏内に収まると踏み、いざ購入。このゲームは当時最新作だったゴーストにシリーズ初参戦のドライブ勢や平成1期のサブライダー、昭和ライダーがある意味目玉だったが、それらをそっちのけて一番使用していたのが鎧武とバロンだった。鎧武はジンバーレモンが使いやすくとりあえずソニックアローでセイハーしていたら強敵も簡単に倒せたりカチドキアームズの火縄大橙DJ銃でぶっぱするのが思いのほか楽しく、バロンは何といってもロードバロンが使えたのは衝撃的だった。キャラ紹介PVにて『乱舞escalation』をバックに流しながらサビに入ったところでバロンが雄たけびを上げながらロードバロンに変身した時の興奮は今でも忘れられない。
↑この動画の3:45から
そんな感じで「あれ?もしかして鎧武って面白くね?」何故か本編や映画ではなくゲームで感じ始め、レンタルDVDで本編を適当に掻い摘んで視聴したりした。この時未視聴だったMOVIE大戦2作とVシネマ(何故か夏映画は当時はおろか今に至るまで視聴していない)もチェックして当時発売が迫っていた小説版の復習もバッチリ、本放送時のモヤモヤが嘘のように3年越しに鎧武にハマっていた。
しかしそれでも満たされず、もっと鎧武の事が知りたいという探求心からネットで色んな人の感想を漁った。その時に見つけたのが鎧武とまどマギを比較しながらそれぞれの魅力を掘り下げた記事、タイトルから「鎧武難産記事」と勝手に呼んでる。この記事を読んだときの衝撃は先述のロードバロン云々をも凌駕していた。
まどマギはもとより平成1期などの過去作と比較しながら鎧武という作品が挑んだものやその結果を分かりやすく整理し、あえて欠点にも触れながらもそれをも魅力に昇華させた当時の自分には斬新すぎた着眼点、よく指摘されがちな粗が全部ひっくるめられ、自分の中で鎧武という作品の印象が180度変えられた経験だった。言ってしまうと、今ここにこうしてブログを開設しているのも、あの「鎧武難産記事」の影響が強いのは間違いなく、というかその遠因が『仮面ライダー鎧武』という作品になってしまっている。あの時どちらかと言えば悪い意味で呪われた作品に今では良い意味で呪われている、こんな人生を歩んでるのは恐らく自分1人だけかもしれない。因みにその記事は今は読めない状態なので「そんな記事あるの!?読んでみたい!」と思った方はご注意を。
そんな感じで鎧武(に関する雑感)に苦しめられ鎧武(の難産記事)によって救われて3年半程した2020年11月、遂に東映公式YouTubeでも鎧武の配信が開始される運びとなった。このチャンネルは以前から、ライダーはオーズ、戦隊はシンケンジャー以降の作品は配信してくれないイメージが強かったので、いざゴーカイジャーやウィザードが配信されると時の進みの早さに絶望して禿げそうになっていたが、前々からそろそろ見直したいと思っていたのでいい機会だった。
あの時はあくまで適当に数話分を観ただけで全編見返したのは本放送以来、あれからもう7年も経ってる事もあって、やはり受け取り方はだいぶ変わっていた。それは難産記事の受け売りもあるし、自分自身が肌で感じた部分も。
当時は自分でもグチグチ言っていた序盤も、ダンスとインベスバトルの関係性は正直今でも分からないが、ダンスチームの縄張り争いといった小競り合いをはじめとする何気ない(と言っていいか分からないがそっち寄りな)日常が後の人類存亡を賭けた戦いとの急激な落差を描くのにいい前振りとなっていたし、後半以降対立してしまう鎧武(紘汰)と龍玄(光実)の息の合ったコンビネーションや2クール目以降は殆ど出番のないノーマル斬月の活躍など、序盤だからこそ見れる部分も冴えていた。ノーマル斬月は鎧武のライダーの中でも1番好きと言えるライターなので、あっさりとゲネシスドライバーに切り替えてしまったのは残念だったが、ゲネシスライダーが登場する流れも「実は戦極ドライバーは試作品でこっち(ゲネシス)が完成品でした」という種があり、販促事情をも上手いこと物語に組み込ませた構成にはいい意味で開いた口が塞がらない。
2クール目から殆どシリアスな流れだったからこそ、キカイダー回やサッカー回もある種の息抜き回になっていたし、普通に出来はいい方なので好きなのだが、いかんせん挿入されたタイミングがな…。デェムシュが沢芽市に!止めないと!→話は2週間前に遡る……、力技にも程があるだろい。関係ないけど33話の脚本を手掛けたのが『がっこうぐらし!』の原作者だと知った時は驚きと同時に何故か笑みがこぼれてしまった。
それとやっぱり、多人数ライダーという点は欠かせない。これは当時から好きな部分だったけど、前作『ウィザード』の終盤までは4年連続で登場ライダーは2人だけだったから、制作発表で序盤から5人のライダーが登場するとなった時はワクワクしたけど、蓋を開けてみたら第6話の時点で7人、年を越したらまた4人増えたので、最終的には20人くらいライダーが出るんじゃないかと非常に興奮していた。まさかTVシリーズではもう1人出て終わりだとは夢にも思わなかった。
序盤のチームごとに分かれて争う感じも好きなのだが、個人的にはそこから紆余曲折を経てオーバーロードという一つの脅威に立ち向かう為に敵同士だったライダーたちとも協力していく後半の展開がかなり好きだったりする。何よりも味方陣営が増えたにも関わらず、そこで俗に言うやられ役を作らなかったのは本当に偉い。グリドンとかはいかにもその役割が向いてそうなのにブラーボとの師弟コンビで雑魚インベスの足止め・撃破に貢献し、マリカやナックルも同じく基本は足止め要員ながら活躍には恵まれていたし、鎧武とバロン以外にも見せ場を作りつつやられ役にはしない構成は見事としか言いようが無い。
鎧武は当時から登場人物の言動が賛否分かれているイメージがあったが、今回の配信で賛寄りで印象が大きく変わったのが、戎斗と光実の2人。
戎斗は大言をぬかしながら戦績が乏しい大言壮語なキャラで、斬月をはじめとするユグドラシル所属のライダーやブラーボといった格上はまだしも、不意を突かれたとはいえ黒影とグリドンにすら負ける始末なのは当時は流石に呆れてしまった。バロンの戦績が黒星ばかりなのは大人の事情も大きいのも差し引いても流石に2号ライダーがこれでいいのかと今でも少し思う。それでも、後半以降は巻き返せてはいたし、やられても決して屈しない志の強さは彼を象徴する一つの個性なのは間違いなく、かませではあるがヘタレでは無いという言葉が似合う。
考えるより動くタイプの紘汰よりは冷静に状況を見極める戦略家な戎斗の方が共感したし*3、強がってはいるがあくまで彼も貴虎たちの言う子供(悪ガキ)の内の一人なのが、今回の配信で理解できた。
個人的に戎斗関連のシーンで好きなのが第7話の、カフェで紘汰に対し強者論を説きながら会計を済ませる下り。なんか説教臭い事を言いながらコーヒー一杯に千円札で支払いきっちりお釣りまで貰う一連の流れはシリアスな笑いのお手本だと思う。
光実は、言うまでもなく良くも悪くも『鎧武』の物語に大きく影響を及ぼした人物なのは間違いない。それはどちらかといえば悪い方に傾き、配信のコメント欄でもネタ交じりにボロクソに言われてたのは正直笑ってしまった。
でも、鎧武の本放送時に子供だった自分自身が大人になった時に光実を見ると、度が過ぎているものもあるとはいえ「反抗期に差し掛かった子供」のそれだと感じた。この期に及んでまた自分語りで申し訳ないのだけど、自分も昔は自分の思い通りにならない事柄や思い通りに動いてくれない人に苛立ちを覚えた事があったので、「まぁ…誰でもこういう時期はあるよね」と何故か人生の先輩面して光実の行動を見守っていた。
劇中で凰蓮も言及していたように、確かに光実の行動はやりすぎたが、でも彼はまだ子供なのだから許されるしやり直せる、「子供と大人」というテーマを含んだ鎧武という作品において、欠かせないピースなのは間違いない。TVシリーズだとあくまで「これからやり直していこう」という地点で終了したので、彼の贖罪は冬映画や小説版を経て完遂される点では、ある意味鎧武における実質の二代目主人公なのかもしれない。
光実は勿論、戦極も敵として美味しいキャラだった。あの「嘘つき卑怯者そういう悪い子供こそ…」の下りもこれまでの光実の悪行を全否定しつつ自分の事は肯定するという のは、「大人と子供」のテーマに対する一つの答えな台詞だったと思う。ネットでよく見かける「虚淵氏はこういうメッセージを伝えたかったんじゃないか」という考察にもなんとなく頷けるし、それを踏まえると序盤の凰蓮のプロフェッショナル精神に理解を示す阪東さんの言葉やビートライダーズを口撃するネットの野次馬への愚痴とかもそうなんじゃないかなと思ってたりする。後者は風刺寄りだけど。
余談だけど、戦極を演じた青木玄徳さんは鎧武の半年前に放送されていた『牙狼 〜闇を照らす者〜』で戦極とは真逆なインテリ系の剣士を演じていたから「えっ牙狼の時と雰囲気全然違うやん!」ってめっちゃ驚いた。
↑上の画像の右上の人物と、下の画像の眼鏡の男性は(演者が)同じ人物です。
少し長くなってしまったのでここいらで総括を。
本放送時はそんなにハマらなかったのに後々見返したら凄く面白かったなんて作品や体験は、特撮にしろ映画やアニメでも割と大半の人は体験した出来事かもしれない。自分にとってそれの代表例が『仮面ライダー鎧武』という作品なのは、ここで長々と語ったことからも分かる。ただ、それが少しばかし特殊なのも奇妙だったりする。周りの雑音から作品を楽しめなくて後年発売されたゲームをきっかけに少しずつあの時味わえなかった面白さを知っていき、挙句の果てにはネットでブログを立ち上げる遠因となってしまう、そういう意味では、自分という人間を語る上では欠かす事の出来ない作品にまでなってしまっているのかもしれない、鎧武は。
だからこそ、あの時、リアルタイムでならもっと楽しめたんじゃないかって後悔している面もある。人に遅すぎるなんて無いとはよく言われているし、今はもう鎧武の魅力を知ってるんだからいいんじゃないかと一応割り切れてはいる。でも、やっぱり2013年10月から2014年9月に駆けた、虚淵玄というアニメ界に衝撃を与えたライターが中心となって創り上げた物語を1週間待ち遠しにしながら楽しみたかった。
それでも、何度も言っているように自分にとって『仮面ライダー鎧武』が特別な作品なのは曲げる事の出来ない事実。劇中で紘汰や光実たちが様々な困難を経て子供から大人へと成長していったように、自分も、誰かの受け売りをある程度自分の考えに変換し、どこまででも曲げることなく信じた道を行った結果が今辿り着いた結論は、紘汰が貴虎に諭してた事と同じだった。人は、変われるって。